清々しい朝を迎えるために
はい、こんばんは、青木遊です。
私の1発目の記事に書いたのですが、私は数学アレルギーでして、
てか、数学というかもはや数字アレルギーでして、
数式はおろか、飲み会のお会計の計算すらやりたくない類の人間なんですね。
▼1発目の記事がこれだよ
そんな数学が大嫌いな私に佐藤くんは言うわけです。
算数と数学は違うと。
算数は計算で数学は考え方の話だと。
プログラミングに必要なのは数学だと。
そしてそんな私に『プログラマの数学』という本がオススメだと。
これは数式とかではなく、考え方の本だから、私でもいけると。
いつもあーだこーだ考えあぐねてる私だから、きっと思考系の話ならおもしろがるのだと思ったのでしょう。
しかし私の数学嫌いを舐めてはいけない。
算数だろうが数学だろうが、「数」という文字を見つけたら華麗なるスルーで生きてきたこの人生、そのような本、これまでもこの先も手に取ることはない。
私の数学に歯向かう鉄鋼の壁、破れるものなら破ってみなさい。
そんな心境の私に対して、佐藤くんはさらに言うわけです。
「僕は毎朝、これ読んだあと手慣らしにpaizaやりますね」
は??
なんだそのエンジニア貴族な朝の迎え方。
え、なにそれかっこいい私もやりたい。
ということで
どん。
ご覧ください!わざわざ朝のスタバにまで出向いてコロナ威力で人がいないことを良いことにいろんな角度から撮った中から選びましたこの1枚感がものすごく漂っています!!!!
型から入る青木ですどうもこんばんは!!!
はじめは「ゼロの概念」というお話。
この話は嘘なしにおもしろいと思いました。
無があるからこそ有がある。
昔、ある能役者の方がおっしゃっていました。
「能で一番大事な瞬間は無音の瞬間。太鼓の音も笛の音も、そして役者の動きでさえも、無音という瞬間があるからこそ初めて存在し、引き立つのだ」と。
日本の美学が好きな私にとっては結構ゼロの概念はおもしろい話です。
さあ、私もこれで言えるわけだ。
「最近朝はこれ読んでpaizaやるねー。ノってる時はもうそのままコード書いちゃうかなー?」
(明日私はきっと佐藤くんに殴られる)
しかも白状すると、自分のタスク終わってないせいで全然まだ数ページしか読めてないから今度改めて感想書きますw
話は変わりますが佐藤くんがいつぞやの記事で、
「自分たちはどこへ向かっているのか」みたいなことをブログに書いていましたが(いつのだっけな。もはや書いてなかったかなw)
そういう言葉を聞くと、私はゴーギャンを思い出すわけです。
有名なこの絵ですね。
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》
この絵を描いてる時のゴーギャンは人生どん底真っ只中だったわけでして、かつ、この絵が描かれたのは1897年と、100年以上前という結構前なんですね。
で、思うわけです。
時代が変わろうとも、人が思うことは同じなんだなと。
そりゃあ例えば戦時中の人たちの苦しみは、私たちなんかじゃ到底理解できるものではありませんけれども、平成・令和という時代に生きる私たちも、いろいろ見失うわけです。
もしかすると、今の時代こそ、これまでの時代の中で一番、
「向かうべきところ、自分自身、そして自分のルーツ」なんかが見えにくい時代なのかもな、とも思います。
昔は、少なくとも「我々は何者か 我々はどこへ行くのか」については明確だったのかなと、思ったりするわけです。
ちょっと真面目な話になりそうなところで、今日の進捗。
企画書諸々少し落ち着いたところでしたが、Vue.が超序盤で敗北し、
期限までの私担当タスクが終わりませんでした。(懺悔
が、佐藤先生に、Vue.のそもそもの概念についてだったり、
フローだったりのレクチャーを改めてお願いしたところ
「あーなるほど、そういうことだったのか」
ってのがなんとなく理解できて、無事、詰まりまくってた部分を突破しました。
個人的には、やっと今日からコーディングをエグっていくギアが入りました。
まだまだ考えないといけない部分はありますが、
コード書けるようになるために精進いたします。
今日はメンバー紹介する尺がなかったので、次回に回しまーす!
青木遊