4人によって何かがつくられていく過程

なんだっていいじゃない

このチームメンバーの好きなとこ

青木遊です。

 

いつも長文記事ばっか書くので、今日は、そして私の最後の記事は短くいきます。

 

今回のチームメンバー全員のどこが私は好きか。

 

 

それは、全員、人の痛みを知っているところ。

 

どれだけ技術があっても、どれだけ容姿端麗でも、

痛みの知らない人間に、私は興味はない。

 

 

そういった意味で、今回のチームメンバーは全員、大いに私の興味をそそる人たちでした。ありがとう。

 

 

 

青木遊

本好きとは一体何なのか

こんにちは、安養寺です。ブログの順番を覚えてもすぐ忘れます。

フレデリックの期間限定で見られるライブ映像と共にお送りしていきますね。

 

 

前回の記事にも書いたような、こういった音楽が好きなことを周りに話したり、カラオケとかで歌ったりすると大体「????」という反応なんですよね。

 

このツラい反応を受け続けた結果、流行曲もしっかり押さえた上で、カラオケランキングの曲を大体網羅した上で、相手の年代、好みの曲に合わせて立ち回るなどする接待営業マン的な自分が出来上がっていました。でもクラシックもタンゴも聴きます。音楽の好み広いです。

 

 

そういえば昨日カレーの玉ねぎをみじん切りしながら旦那へ日々の称賛の言葉を並べていたところ、「奇跡」という言葉が出てきて、そこから派生してGreeenの「キセキ」を歌詞を見ずにふざけて歌ったんですよ。そしたら、

 

え?これ私?私が歌うために書いた歌??

 

歌えど歌えど、私が言いたいことが出てくる出てくる。

皆同じ気持ちなの?!?!

って感じ。

 

ヒット曲のメロディーセオリーとかあるんだろうけど、この歌詞が人々の共感を呼んだのか…とカラオケで歌っているだけでは分からなかった気づきがありました。玉ねぎが染みました。

 

 

 

さて、本題。今日は本のことを書くって決めてたんですよ。

音楽はもちろんのこと好きなんですけど、それと同等くらいに私は実は本が好きなんですよね。

 

小さい頃は本当にものすごく大量に本を読んでた。

文字を書けるようになったのが早かったのかもしれないし、読めるのも早かったのかもしれない。(3歳の頃には帰りの遅いお父さんと交換ノートをやっていた)

 

ほぼ毎週図書館に行き、借りられる本の上限10冊では飽き足らず、家族にも自分の読む本を借りてもらい、家に帰ってかじりつくように読んでいた。

 

幼稚園児の頃には攻略本片手にポケモンに勤しみ、小学生〜高校生でも図書室&図書館に通い、国語の教科書は教科書を貰ってすぐに読み物として読んでいたし、どうしても読みたい本がある時は教室でも本を読んでいることがあった。本や漫画を読んで集中しているときは全く周りの音が聞こえなくなってしまうので、友達に「遊んでいる時に何かを読んではいけない」と注意させてしまったのは申し訳ないと思っている。

 

現在でも、本屋に行けば1時間以上出てこないことはざらで、どんなに重い荷物を持っている時も、歩き疲れて脚が痛い時も、満足するまでは本屋にいることがある。

紀伊國屋、アカデミア、丸善、ブックセンター、ショッピングセンターの本屋など大きい本屋は本当に本当に本当に好きで万単位で本を大人買いする時もある。郵送サービスもあるけど、すぐ読みたいから重い思いして云々持って帰ることもある。

 

最近イケアでビリーという本棚を買って本を詰めたのだけど、すぐに一杯になってしまって悲しみに震えています。(これはイケアのオンラインストアの写真だよ)

IKEA ビリー / オクスベリ 本棚

 

 

それなのに「本好きなんです」「趣味、読書なんです」

周りに公言することはない。

 

 

 

なぜか?

 

 

 

 

何の作者が好き?

 

どんな本が好き?

 

おすすめの本は?

 

 

といった、本好きの間で繰り広げられる本トークが非常に苦手なのである

 

 

 

まぁ本好きですみたいに言ったら一般的な会話の流れとしては、

「何の本読むんですか〜」とか

「おすすめの本なんですか〜」とか

普通だよね、会話広げていきたいもんね。

 

 

 

でもなんかそういうのを考えたことがないというか、

本に関して雑食すぎるんだと思う。

 

面白いものは面白いし、

面白くないものは面白くないから

この作者だから絶対面白い!だからすき!とかもないし、

ジャンルも同じだよね。

 

 

おすすめとか聞かれても人それぞれだから分からん。

私はこれが面白かったけど貴方もそうとは限らん。

って感じだし…

 

むしろ本に関しては、

(なぜこれを買ってしまったんだ…時間とお金返して…)

という読後の感想が浮かんだ本とかを共有して、

読後の最悪な気持ちを回避したいとか思ってしまう。

 

 

みんなはどう考えてるんですかね。

本が好きってなんなんですかね。

 

 


 

そういえばよく考えると、

スポーツも本も音楽も洋服も本ほどではないけど、

私は全ての趣味が雑食かもしれない。

 

恐ろしい。

 

今後の人生、いわゆる読書家とか〇〇家みたいなのには

一生なれそうにないなと悟った今日でした。

 

「読んでいない本をどれだけ増やすのか」という戦い

 

あと少しでこのブログの更新が終了するので、

本について書いておこうと思います。

 

 

 

 

本は良いです。

 

文庫本は持ち運べるし、ハードカバーは所有感があるし、

新書は美しい長方形だし、技術書は切れます

 

 

読むのが遅ければ遅いほど、お金がかかりません。

 

分厚ければ分厚いほど、読んだ人が少ないので話題に上がりません。

 

難解であればあるほど、ネットで要約を調べれば読んだ気になれます。

 

会話の中で特定の本の話になっても、

読んだかどうかなんていくらでもごまかせるし

読まなくたって話すことができます。

 

だから、本を開くのも、開いてから途中で止めるのも、

何度も何度も読み返すのも、個人の域を出なければ自由で良いです。

 

ただ、本は語られるために存在するような一面もあります。

 

読書は個人的な営みのように見えて、

人々と語るために行っている場合が多いように思います。

 

人に教えたくないほど好きな、あるいは嫌いな本に出会うというのは、

ものすごく稀で幸せなことだと思います。

 

読書という行為そのものだけが好きで、読んだ本について誰に語らずとも

本棚を埋め尽くせるという人は、選ばれし者です。

 

どっかしらで読んだ本について話したり書いたりしたくなると思います。

 

 

 

僕の高校時代は長谷部誠長友佑都の本しか読みませんでしたが、

本田圭佑は読書家である」という情報を耳にしてから

実家にあったサリンジャーやら村上春樹を持ち出し、

読書家キャラとして大学デビューを飾りました。

 

 

途中でホリエモンあたりのビジネス書イケイケゴリゴリキャラを挟み、

学術書を読み始めたところで

読書家キャラは無理だと気付きました。

 

 

作家の人ハンパねえ。

多彩なジャンルと膨大な量の本読んでるやん。

そんなんできひんやん普通。

 

 

まず本読むの遅いから、長生きするしか勝ち目がない。

読書速度を測って絶望した記憶があります。

 

 

と同時に、読めば読むほど、読んでない本が増えていきます。

 

本の存在を知らなければ、「読んでいない本」という認識の枠からは外れます。

 

タイトルだけでも知ってしまえば、「読んでいない本」認定されます。

 

すると当然、まだ「読んでいない本」認定されていない本が

この世に無数に存在することに気付きます。

 

 

 

助けてソクラテス

 

 

 

そう思って手にとった『ソクラテスの弁明』は

ソクラテスが裸足で生活していたことくらいしか分かりませんでした。

(あとソクラテスがムキムキであったということ)

 

 

 

こうしてマッチョになったわけですが(僕はマッチョです)、

無数の「読んでいない本」ですらない本の存在を感じた時、

何を読んだらいいのか、何を読みたいのかよく分からなくなりました。

 

たしかに、信頼している友人に勧められた本が面白い確率は高いですし、

勧められた時点で語る需要が発生しているのでモチベーションにはなります。

また、幸運なことに好きな作家の存在ができたので

読んでるうちは楽しいです。

 

ただ、好きな作家の本はいつか読み終えるし、

友人あるいはAmazonから勧められる本を読み続けるという

無限ループから抜け出せないとなると

読書家キャラ、あるいは「語るために読む」のがしんどくなりました。

 

 

 

そんな時に読んだのがこちら

 

 

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これも途中までしか読んでない

 

 

 

怪しいビジネス書みたいなタイトルですが、ちくま学芸文庫から出ている

割と有名な本です。

 

 

ここに、

「文学の専門家でも読んでない本(小説)て結構たくさんあって、

知ったような顔して語ることも多いよ〜」

 

って書いてあって、すげー安心しました。

 

そりゃそうだよな〜

 

いくら職業にしているとはいえ、読むのダルい本もあるよな〜

 

 

面白かった部分を要約すると、

「いわゆる教養ってのは、個別の書物に対する知識じゃなくて、書物と書物のあいだの体系的な繋がりのこと。

教養があるやつってのは、全体の中で自分がどの位置にいるかを把握して、自身を方向づけられる人間のこと。」

 

 

おお〜

 

それっぽいことを言っている。

 

 

教養人になりたいとは思わないけど、

有名な本を読みまくるのは無理として、

書物そのものを知らないってのは

寂しいもんだなと思いました。

 

 

「読んでいない本」が増えれば増えるほど、

僕はどんどんマッチョに方向づけられます。

 

 

 

以上です。

 

 

 

 

佐藤

見方を変えてごらんなさい。

前回の安養寺さんの記事でガチ泣きした青木遊ですどうもこんばんは。

 

 

私にとっての小説は、安養寺さんにとっては音楽だった、

一生懸命私の立場になって、私の思いを理解しようとしてくれたことに

シンプルに感激と感動で全私が泣いたって感じです。

 

 

 

今私はこの記事をカントリーロードを熱唱しながら書いています。

時々急にディズニーソングに変わることがあります。

 

最近1人で歌いながら何かをしていることが多いです。

 

ディズニーランドでは普通にディズニーソングを口ずさむんですが、

結構前に表参道で友達とカフェ並んでたときに無意識にホールニューワールド歌い出した時はさすがに止められましたし、自分でもヤベーなと思いました。

 

 

 

 

あれから勝手に口からディズニーソングが流れてくることはしばらくありませんでしたが、ここ最近の生活を見ていると、あの悪習が復活してしまいそうで怖いです。

 

 

最近得意になったのは、アナ雪の吹き替えの、神田沙也加と松たか子の違いを出せるようになったことです。

「生まれて初めて」という曲での違いなんですが、二人とも交互に入れ替わるテンポが速いし、てかなんなら途中から二人ともかぶせてくるので1人2役やるのが難しいです。

 

 

そういえば私はこの話から転じて、安養寺さんのモノマネが上手です。

スクールの同期のみんながあまりにも「上手」と褒めてくれるので、

課題発表の時に安養寺さんのモノマネから入ったら盛大に滑った記憶があります。

 

 

もう少し自分の声が低ければ、佐藤くんのモノマネも結構極めることができる自信があります。

 

キョンは、、、、、できなくはないって感じでしょうか。

ちょっと、どの部分を切り取るか難しいですね。

 

 

 

モノマネで思い出しました。

高校の頃ってか、あの、今日のブログ、鬼まじどうでもいい内容なんで(いつもか)超絶暇な人以外読まないでください。

 

 

 

はい、で、高校の頃なんですが、私が通っていた学校は中高一貫の女子校だったんですね。

 

なんなら大学まである学校ですし、うちの学校の生徒は基本的に大学までそのままエスカレーターで上がっていく子が9割な学校だったんです。

 

つまりこれが何を意味しているかというと、

 

 

生徒のほとんどが受験を経験しないんです。

 

 

そんな私たちの学校の最大の特徴は、

文化祭がガチ。

 

 

私の出身地である県の「楽しい文化祭ランキング」では基本的にトップに君臨し続けるほど、文化祭には全学年中が総勢で力を入れまくるんですね。受験しないから暇なんです要は。(今はどうか知りません)

 

 

で、中3、高3は毎年ミュージカルをやらないといけないんですね。

 

 

これがまあガチなんですわ。てか、大学受験なんてものが存在しない高3勢は、最後の青春として全てをここに懸けるんです。

 

 

 

そして、大体演目はどのクラスも、劇団四季が宝塚をやるんですね。

 

 

劇団四季をやるクラスとなれば、実際に自分たちのやる演目を四季劇場までクラス全員で観劇しに行って研究に研究を重ねたり、

 

宝塚をやるクラスは大体舞台のメイクで使用するのはファンデーションじゃなくてドーランを使います。

 

 

 

そして夏休みに入る直前は、クラス全員、夏休みの予定を1日たりとも空けずに提出します。夏休みも毎日学校で、秋の文化祭本番にむけて練習です。

 

「え? 1週間旅行?旅行先にも台本持ってけよ」

 

 

 

みたいなテンションです。

 

夏休みコミットできない勢はその時点で裏方決定です。

大道具か照明か音響なら夏休みコミットできなくても許してもらえます。

 

 

部活動をやっていたり、外部の大学受験で練習を途中で抜けなければいけない勢は、ものすごく申し訳なさそうに「本当にごめん。。。。抜けさせてもらいます。家で練習します」と一言置いて立ち去るのが礼儀です。

 

 

 

 

 

 

なんちゅー理不尽な文化や。

ぶっちゃけ今思えば何も申し訳なくない。

 

 

 

とりまこんな感じだったんですね。

 

 

 

で、私が高3の時は、宝塚の演目をやりました。

 

 

で、共学の高校はどんな感じか知りませんが、

女子校には必ず、女子力を極めに極めたマドンナが存在します。

 

 

誰もが可愛いと認める存在です。

 

 

そういうマドンナは学年に何人かいて、大体各クラスに分散されます。

 

 

 

 

そしてうちのクラスに配属されたマドンナは、学年中が認める美しさと、凄まじい演技力を持ち合わせた文化祭女王だったんですね。

 

 

 

 

例えるならば、見てない人にはこれ通じなくて申し訳ないんですけど、

 

まじで、まじで、まじで、

 

ハイスクールミュージカルのシャーペイみたいない奴。

 

 

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強いていうなら、あそこまで性格は悪くないので、

シャーペイと『キューティーブロンド』のエルを足して2で割ったような

それはそれは頭ぶっ飛んでる美女だったんです。

 

 

仮にその子をシャーペイと呼びましょう。

 

 

で、その子の演技がなぜずば抜けているかというと、

彼女は、昔流行った、ある世代なら誰もが知っている夏休み限定のドラマに子役で出演していたくらい、演技に関してはもはやプロだったんですね。

 

 

なので、クラス替えが行われてシャーペイが教室に姿を表した瞬間、

「あ、今年の文化祭は演目なんであれ、ヒロインあの子だな」と、全員が暗黙の了解を得るくらいの子だったわけです。

 

 

 

 

 

さて、私はというと、そんなシャーペイと中学の頃から仲良しでしたので、

クラス替えでクラスが一緒になった矢先「ちゃんと男役主役とってよね!」と念を押されます。

 

 

私は万年クラス委員をやっていたこともあり、大勢の人の前で話すことに慣れていたため、中3の頃もキャストだったのと、まあ雰囲気から基本男役なんですね。

 

 

ただ、高3のあの頃に至っては、男役主役に立候補することに、はじめはチキったんですね。

 

 

 

 

だって相手シャーペイでしょ?

 

 

 

ヒロインの演技はバカうまいのに、

男役トップは演技が素人なんて、

え、ちょーーーーーーーやだ!!!!

 

 

 

ダサい!!!!恥ずかしい!!!!

なんでお前なんだよヒロイン!!!!!

 

比較対象が恐ろしすぎる!!!!!!

 

 

 さて、

私以外にも男役トップを張りたがっていた子がいたのですが、

こういう場合はオーディションが開催されます。

 

 

セリフ読みと歌唱力をクラス全員に審査されます。

 

 

クラス会議で各々役柄立候補をしたのちは、

オーディションまで1週間の練習期間を設けられます。

 

 

準主役立候補も私と仲良しの友人だったんですが、

まあ、その子はオーディションする前からほぼ合格確定だったんですわ。

なんとなくクラスの空気的に。

 

 

その準主役の子からも念を押されるわけです。

「遊ちゃん!!!頑張ってよ!!!!一緒に2トップ張りたい!!」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えぇ〜。。。。。。

 

 

 

 

1週間かぁ〜。。。。

 

 

 

 

 

試しに台本を読んでみますが、

まあーー素人の読み方でシンプルに下手くそなんですね。

 

 

 

 

自分でわかるんです。

全然ナチュラルじゃないと。

読まされてる感じしかしないと。

 

 

おまえ国語の授業で教科書音読する時の方がまだ自然だわ、と。 

 

 

 

 

 

これが相手役のヒロインも素人なら成り立ちますが、

何度も言うように、シャーーーペイでしょーーーーー???

 

 

 

シャーペイに練習に付き合ってもらいますが、

シャーペイも「うーん」って感じのリアクションかましてくるんですね。

 

 

 

 

 

 

やばい。大道具の枠はもう埋まってしまったから、

このオーディションに落ちたら「パリの街の人4」とかになる!!!!!

 

 

 

セリフ一言のために夏休み潰してたまるか!!!

 

もはやそれなら出たくない!!!

 

 

 

やばい!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

つまり私に課せられてるミッションは、

「演技におけるプロのヒロインと並ぶほどのプロに近い演技力」を1週間で身につけなければいけないというものだったのです。

 

 

 

 

 

いや普通に無理ゲーじゃん。

 

 

 

私は、文化委員から渡された、私たちの演目の実際の宝塚の人たちのDVDを、すがるように見てみました。

 

 

 

この演目で私が演じる役を担当されてたのは、

かつての月組トップの瀬奈じゅんさんという方でした。

 

 

 

まあ、そらね、プロだからね、カッコええよ。瀬奈じゅん

 

 

瀬奈さんの演技や、シャーペイの読み合わせを聞くたびに、

立候補したはいいものの「あぁああぁあああああ」と項垂れていた私でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

が、

 

 

 

 

オーディションまで後4日となった、 

 

 

 

ある時、

 

 

 

 

 

 

 

ふと、

 

 

 

 

 

 

 

思いついたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待てよ。

 

 

 

演技力を上げようとしてるから、無理ゲーなんじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀬奈じゅんを完コピすればよくね???

 

 

 

 

 

そう、つまり、瀬奈じゅんのモノマネを1週間で極めればよくね??

 

自分、モノマネ得意じゃん??????

 

 

 

 

 

 

え、待って、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これ勝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに気付いてからは、あのDVDを擦り切れるほど毎日、一日中、気が狂ったように見まくりました。

 

 

 

何度も一時停止と巻き戻しを繰り返し、

瀬奈さんの言葉遣い、声の出し方、歩き方、表情の作り方、歌い方、座り方、足の組み方、スーツの着方、すべてに神経を張り巡らせて観察しまくりました。

 

 

 

 

瀬奈じゅんを完コピすれば、

私という存在は素人でも、演技にかけてはプロになる。

 

 

 

そう思ったのでした。

 

  

 

その類稀なる努力(なんの努力だ)の甲斐あって、

オーディションを迎える頃には私は瀬奈じゅんの生き写しと言われるほどにまでなっていました。(瀬奈さんのファンのみなさまごめんなさいごめんなさいおこがましくてごめんなさいご愛敬お願いします!!!!)

 

 

 

シャーペイも大変ご満悦でございました。

 

「これなら私の相手役としてふさわしい」と。

 

 

 

当然、オーディションは突破し、

見事、私とシャーペイと、仲良しの準主役の子で文化祭を引っ張ることができました。

 

 

めでたし、めでたし。

 

 

 

 さて、ここまで鬼バカどうでもいい話を長文にて書いてしまいました。

 

 

だからさ、ここまで書いて思ったけどさ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視点変えるの、大事だよね。

 

意志のあるご機嫌

最近はもっぱら自炊にはまっている。

 

 

自炊に限らず、自分の住んでいる環境をいかに快適にするかが

テーマとなっている、と言ってもいいだろう。

 

 

これはいわば自分の中で勝手に立ち上げた「ご機嫌計画」なのである。

 

 

ご機嫌、という言葉を意識し始めたのはいつからか忘れてしまったが、

毎日ご機嫌でいる人は魅力的だなあ、かわいらしいなあと

物心ついたときからふと自分の意識の中にあった気はする。

 

 

それはおそらく昔から漫画やアニメが大好きだった頃の名残があるからなのだが、

その中でも私の人格形成にかなりの影響を与えたキャラクターが2人いる。

 

 

1人は『フルーツバスケット』という漫画の本田透であり、

そしてもう1人は『GALS』という漫画の寿蘭である。

 

 

本田透は、幼い頃に両親を亡くし、そこから自らアルバイトと学校を行き来する健気な女子高生なのだが、ひょんなことで学校のアイドル的な存在である草摩一族の秘密を知り、関わることになる。

 

 

 

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*1

 

 

ここでいう秘密や細かい設定などは直接確認してもらえればと思うが、

要はこの草摩一族の人間たちはその秘密ゆえにそれぞれが何かしらのトラウマを

抱えていて、本田透はそんな彼らのトラウマを持ち前の明るさや優しさで解きほぐしていくのである。

 

 

小学生高学年から中学生にかけてこの漫画に出会い、そして愛読していた私にとって

この本田透の優しさは憧れだったし、強さだとも感じていた。

 

 

彼女はその境遇から、最も悲劇のヒロインを演じられる可能性があるのに、

彼女の言葉からは「いろんなおにぎりの具が存在し、愛されているように、自分では気づかないだけでその具がどこかでは魅力的に映って愛されているかもしれない」と口に出来てしまう温もりが感じられる。

 

 

こうして真っ向から彼女の影響を受けた中学生の私は、常に笑顔でポジティブに振る舞う彼女を見習って、せめていつもニコニコできるような人間になろうとしていたのはここだけの話である。

 

 

 

そして自分の中で興味深いのは、このいわゆる母性に近い明るさ、優しさを持つ本田透とは打って変わって、「恋愛!!友情!!遊び!!」に全力投球し、おそらく本田透と同じ学校だったとしても決して同じグループには所属しない寿蘭というイケイケ女子高生にも多大なる影響をもらっているというところだ。

 

 

 

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寿蘭に出会ったのは、もう少し遡りちょうど小学生低学年から中学年くらいのときである。

 

 

「勉強きらーい」「109大好き~!」「チョベリグ」が口癖のメッシュをかけたボブのパーマスタイルの寿蘭のどこに惹かれていたかといえば、きっとそれは「自らの中で筋を通して生きている」ところなのだと思う。

 

 

言いたいことを言うかわりに相手の話を聞く、

やりたいことをやるかわりに相手にも強制しない、

自分が一度仲間だと思った相手は最後まで信じ、守ろうとする、

そんな寿蘭の人柄もまた本田透とは違う強さだが、

かっこいいと思ったのである。

 

 

それこそ、彼女に影響を受けたことで私は

ある意味で怖いもの知らずで衝動的に突っ走る部分を持ったと認識している。

 

 

おかげで中学2年生の夏休み直前に好奇心で金髪に染め、忘れ物を取りに学校に行ったことで教師陣からあの真面目な子がグレてしまったとちょっとした騒動を起こしたり(染めるタイミングをミスった)、大学生のときにはサークルのイベントのためにある大企業の社長にこの場所を貸してください、と周囲も青ざめるような直談判をしたり、結構ノリと勢いで突っ走る寿蘭イズムを見事に受け継いだと思う。(結果として会場は借りられた笑)

 

 

そんな2人と思春期の時期に出会った私は、他者を思いやる強さと自分を貫く強さという異なる強さを共存させようともがいていたような気がする。

 

 

今でも共存しているかは不明だが、少なくとも自分で自分の機嫌を取れるくらいにはなっているような気がするので、意志あるいは思い込みの力はやはり絶大である。

 

 

少なからず、自分に余裕のないときは私の中の本田透が周囲に対するありがたさを痛感させ、自分の調子が良い時には私の中の寿蘭がこれでもかというエネルギーを放出させている。

 

 

おそらく誰の中にもそう言った共存しえないようで共存している存在があるのではないか。

 

 

そう書きながら、今私は彼女がいるくせに誘ってくる男友達に寿蘭ばりに

「うるさーーーい」と蹴散らしている。今日も平和である。

 

 

*1:フルーツバスケット本田透 

*2:『GALS !』寿蘭

ミスチルのライブ3回行ったけど

 

最近、毎日のように散歩している。

最近、毎日のように散歩している人は激増したのではないかと思う。

 

色々な時間帯に散歩をしているが、いつ散歩をしても数ヶ月前と比べて

明らかに人が増えている。

 

僕の家は川が近いので、

川の横の舗装された、そこそこ広い道を歩く。

 

 

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もうこんなにも夕焼け〜♪

 

 

 

 

小学校からのランニングコースなので、

どの時間帯に歩いても、見たことある人とすれ違う。

 

 

時期によってはそこそこ走るので、

10年以上、美しい女性ランナーの存在を渇望してきた。

 

 

こういうのは結構大事である。

ルーティンワークに最も必要なのは、こういうことなんじゃないかと思う。

 

 

しかし、都内とはいえ下町、いるはずがない。

10年以上探していないんだから、本当にいないんだと思う。

 

 

ただ、美女はいないが、

ランナーのランニング継続率は異常に高い。

 

 

数年前から走り続けてる人が、少なくとも6人いる。

「6人の毎日ランナー」と呼んでいる(あだ名のセンス普通)。

全員、どの季節に走っても、大体同じ時間に走っている。

たまに走ってる人はその2~3倍いる。

 

少ないと思うかもしれないが、

地元の川沿いをいつ走っても見知った顔に5人以上すれ違う、というのは

あまりないんじゃないかと思う

 

 

僕は毎日走っているわけではないので、

たまに走った時に毎日ランナーに会うと、

少しほっとする。

 

 

それはちょうど、好きなロックバンドのライブに行った時の感覚に似ている。

昨日のブログで音楽について書いていただいていたが、

演奏する曲は違えど、変わらず音楽を鳴らしている人たちを見ると

安心をもらう。

 

 

もちろん、曲を作り続けてライブをし続ける人たちは、

安心とは真逆の感情だらけだと思う。

 

 

毎日ランナーたちも、走りたくない日が必ずあると思う。

 

 

それでも、人の目につく場所で何かを継続することは

なかなか良いことだと思う。

 

 

とか言いながら、このブログはあと1週間で終わり。

中盤から「何かを作ってる感」がほとんど無くなっていた気がするが、

果たして出来上がるのか。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今日は祖母の実家である山形から送られてきた山菜を食べました。

 

山菜と言っても、種類は色々あるんですよね。

 

今日は「ナンマイ」でした。

 

 

 

 

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お経か

 

 

 

山菜の名前とミスチルの桜井さん以外の名前は

一生覚えられる気がしません。

 

 

 

 

 

佐藤

1日中ずっと起きていたいよ

1日が24時間あっても全然足りてないなと最近ずっと思っています

ずっと家に居られることによって、やりたいことがすぐ出来る環境だから

全力で色々打ち込むことが出来るのですが、それでも足りない

そんな毎日です

 

 

 

今日はゲームのことを話してもいいんだけど、なかなかそこまで

そういう気分ではないので音楽の話をしようと思います

 

 

ゆうさんが小説を書くということがどういうことなのかと

話してくれたことから、小説とは…と深々考えてしまいました

 

そして、小説のことを考えていたのに、

いつの間にか音楽のことを考えていました

 

 

 

 

私は好きなメロディーかとかピコピコ踊れるのも大好きなんですけど、

歌詞にも割と惹かれることが多いんですよね

 

歌詞って短い言葉だけど伝わってくることがたくさんあって

余白があるから人生に影響を与える範囲が多い気がしてます

あと繰り返し聴くから入ってくるんだろうな

 

 

 

 

 

 

とりあえずART-SCHOOLを聴きながら書きましょう

世界が終わったらと考えると、「あと10秒で」が無性に聴きたくなるんです

 

 

 

 

まずこの音楽沼にハマってしまったのは、アニメのせいなんです

私は当時NARUTO鋼の錬金術師がものすごく好きで、

アニメのOP/ED集のCDを買ったことが全ての始まりだったのです

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマってしまった

 

当時の彼らはソルファを出したか出してないかくらいだった

リライトが収録されているアルバムである

 

 

歌詞とサウンドがばっちし心を掴んで、

今も1番好きなバンドと言っても過言ではない

 

それをきっかけに他のバンドも聴くようになりTSUTAYAでCDを借りては聴き、

ロッキンオンジャパンやB-PASS、ワッツインなどの雑誌を読み漁り、

Music on TVを1日中流し続けて見たり、

出演するラジオを心待ちにして聴いたり、

録音して再度聴いたり、

タワレコ行って延々と新譜チェックしたり

音楽の世界にのめり込んでいってしまっていた

 

 

 

 

アジカンの「ファンクラブ」

これは彼らの鬱々とした時期に発売されたアルバムだが、

今聴いてもそう思うし、そんな人気なくてもすごく好きなアルバム

 

 

「ワールドアパート」のサビでこんな歌詞があります

https://www.youtube.com/watch?v=okTIbhpz97Y

 

 

「遠く向こうで

 ビルに虚しさが刺さって 

 六畳のアパートの現実は麻痺した

 

 目を塞いで

 僕は君を思い描いて

 想像の世界で 君も全部無くして

 分かったよ」

 

 

 

これなんのことかわかりますか?

 

9.11のことなんですよね

 

シャウトと言葉から伝わる情景に震えたというか

それを知った時にああ、音楽ってなんでこんな

言葉と音で人の心を動かせるのだろうと

身に染みて思ったんですよ

 

 

 

他にも、

THE BACK HORNの「美しい名前」

https://www.youtube.com/watch?v=FFiCkVOhuWI

 

「泣きたい時ほど涙は出なくて 唇噛んでる真っ白い夜

 体中に管をたくさん付けて そうかちょっと疲れて眠ってるんだね」

 

「あぁ 時計の針を戻す魔法があれば

 あぁ この無力な両手を切り落とすのに」

 

「何度だって呼ぶよ 君のその名前を

 だから目を覚ましておくれよ

 今頃気付いたんだ 君のその名前がとても美しいということ」

 

これも歌詞が美しすぎるでしょう

その上、メロディーも抉ってくる

この曲が書かれた背景とかも知るともう何も言えなくて

 

 

 

「初めての呼吸で」

https://www.youtube.com/watch?v=VwumY0osdoQ

 

これはいろんな理由で死にたくなった時に聴くと

すごく切なくなって元気になる

聴けなくても1人で口ずさむと元気になる

清すぎる、全てが清い

 

 

 

 

やばい、いい曲がありすぎるな

後藤正文の「LOST」

https://www.youtube.com/watch?v=kPWEctV4Vkg&list=RDkPWEctV4Vkg&start_radio=1

「花びら はらはら

 まるで僕らは初めから

 全てを失うために 生まれたみたいだな」

 

と歌うサビ

 

 

「今なら 未だ未だ

 そうさ 僕ら

 この場所から 全てを失うために

 全てを手に入れようぜ」

 

と歌う終わり

 

 

スネオヘアー

「君は何度も訊くけれど

 絶対なんてないんだよ ah」

と歌うのに

 

「霞むような出来事も

 突き刺され君のもとへ

 ぼやけきったこの時代に

 口ずさんでよ未来を」

と締める

 

 

 

 

生きている中で感じる無常さとか

その中にある希望とかそんなものを感じさせて

気持ちを揺さぶってくる

 

 

 

普段生活している中でも

くるりの「春風」を頭で流しながら歩く春

シロツメグサを目で探して、幸せ気分に浸ったり、

 

BaseBallBearの「真夏の条件」を思い浮かべて見上げる夏空

夏空が自分が思っているよりも青くなくて、

もっと濃い青空を恋しく思ったり、

 

 

それって人生が豊かになっていることだと思うんですよね

 

 

 

人生の中に音楽が根付いていて、その時その時を思い出させたり、

深く心を刺してきたり、温かく迎えてくれたり、、

 

私にとってはなくてはならない存在だから

ゆうさんにとっての小説のことを考えていたら

音楽のことを考えてしまったのだろうな

 

 

 

最後に

 

フジファブリックのボーカル志村正彦

2009年のクリスマスイブの日に突然亡くなってしまい

当時私は友人と中野サンプラザで行われたお別れ會に行った

本当に不思議な経験で信じられなかった

あの時に聴いた「笑ってサヨナラ」は苦しかった

亡くなってしまった今も彼は曲と歌の中に生きていると感じる

 

しかし一緒にお別れ會に行った友人も数年前に亡くなってしまった

彼女のお通夜に行った時も不思議な感覚で、今でも信じられない

 

フジファブリックが好きだった彼女を思い出す時に

いつもフジファブリックの曲を思い出す

フジファブリックの曲を聴いた時に彼女のことを思い出す

 

それも間接的に彼女は曲の中に生きているような気がする

 

 

つまり、

ゆうさんは私にとっての音楽のような存在の

小説を書いているのだなと感じていて、

 

私はあんまり小説のことは分からないけど、

すごく共感したのです

 

 

 

ここまで落ち着くまで何時間書いてるんだ自分

ただの思考の整理でした

 コード書きます