4人によって何かがつくられていく過程

なんだっていいじゃない

喋れども喋れども。

”この世には絶対というものはない”というのが私の持論なのだが、

コロナの世界的流行のもと、現在私たちに要請されている

自粛生活を通して気付いたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喋ることが好きだ。

 

てかめっちゃ好きだ。

 

 

なぜ気付いてしまったかといえば、

対面コミュニケーション(またの名を濃厚接触)の自粛を迫られた

3月半ばから4月前半までにかけて偶然ながら数日間誰とも喋らない期間があった。

 

そうして数日後、愛猫ロスにかられた私は実家に帰ったのだが、

その際妹に「お姉ちゃんさ、結構ちゃんと定期的に帰って来れば?」と言われた。

 

優しい妹である。

最近1人暮らしを始めたばかりの姉を心配してくれているのだから。

 

「ありがとう、でも大丈夫だよ。」

 

「大丈夫じゃないよ、だってお姉ちゃんさっきから本当に喋りが止まらなくて、私が入る余地なくなってるじゃん、流石にうざいから定期的に帰ってきなよ。

 

 

 

 

そう、私は自分では気付けなかったほど、誰かとの会話への欲求に対する不満が満ちていたようだ。

 

 

しかしながら疑問である。

色々思い返してみると、確かに小学生の頃は好奇心旺盛で楽観度100%な性格をしていたが、やがて中学高校となると、思春期もあるし、なんなら女子校だったこともあり、一通り空気を読む、というスキルを身につけていたはずだ。

 

 

大学生のときには、逆に感情を抜いたところで相手との対話や議論する場や環境の大切さなんかも学んでいた。

 

 

だから、少なからず大学生の頃まではむしろここまで誰かとの対面コミュニケーションを切望していなかっただろうし、なんならサークルなど含め常にコミュニケーションスキルを求められる場にいたこともあって、1人の時間を求めていた記憶すらある。

 

 

そう思ったとき、ふとやはり自分の転機はあの大学院3年目の、2019年に訪れていたのではないかと感じる。

 

 

通常大学院は修士、博士と二段階になっていて、修士は基本的に2年で修了する。

そして私の同期は1期生なのもあって教授陣がちょっと奮発して数を多めに取ったのだろう、8人もいた。(私の学科の規模だと多くて5人前後ではないだろうか。)

 

大学時代から顔見知りのメンバーであり、ゼミなんかでも切磋琢磨して共に学んだ8人。修論提出前には皆初めてのことだらけで不安を共有したりなんかもした。

 

私でいえば、教授とともにこれは面白い!!というテーマを見つけ、

無事に修論を書き、修了し、そのままデザインと研究という相反する分野を両立する道に進む予定だった。

 

結果、8人中修了できなかったのは私だけであった。

 

修論の口頭試問会では、自分の担当の教授にそれはもうフルボッコにされ(愛のムチだと今ならわかるが、前日までメールではほんわかしていた彼の口から「論が破綻している」、ある教授からは「自分の言葉に酔っている」と出た時の衝撃さに心が折れかけた)、陽気に参加するはずだった卒業パーティーには力なく笑う私の写真が残された。

 

挫折経験は正直幾度となくあるが、このときばかりは自信喪失という言葉の意味を理解できてしまうほど落ち込んでしまった。

 

それは自分に対する情けなさや甘さ、修論を抱えながら欲望に負け10月に台湾・マカオ旅行を教授には内密に厳重警戒で実行してしまったこと、そこでの本場の小籠包を味わい呑気に感動してしまったこと、家族に対する申し訳なさ、2万円だけ貸して「人と関わるのが疲れた」と一方的に別れを告げLINEブロックを犯した年下の彼の事件(それ以来私は好きな音楽にUVER WORLDを挙げる男性が無理になった)、進路変更を考えざるを得なくなった「向いてない世界」との対峙、などふざけている内容もあるが本当の意味で「自分」と向き合わなくてはならない時期だったと思う。

 

 

そんなとき唯一元気をもらえた場所だったのが大学2年生から続けていたアパレルの接客の場だった。

 

 

お客様は丁寧に接するとやはり大抵の人は「ありがとう」と言ってくれる。

この「ありがとう」に何度も救われていたし、この修士3年目の時期の中では息抜きの時間でもあった。

 

 

そしてこのバイトは「喋る」ことが仕事であった。

コミュニケーションを重ねていく中で、相手のニーズや要望を引き出し、

それを営業ぽくなく、どちらかといえば友人らしい振る舞いで応えると

売り上げに繋がっていく仕事。

 

ここでは正社員もアルバイトも関係なく、店舗の中では同等の「ショップ店員」として見なされる。

 

だからこの場で出会った数えきれないほど多くの女性とたくさんの話をしてきた記憶がある。

 

同じく進路で悩む人には自分の悩みも打ち明けられたし、

恋愛で悩む人には自分の変な恋愛経験の話で笑わせることもできたし、

おしゃれな人にはどこでそのセンスを磨いているか教えてもらうことも出来た。

 

それは巡り巡って「ありがとう」という言葉で完結されるのだが、

そのコミュニケーションの形がとても自分の中で大切なことに気づいたのはその頃だったかもしれない。

 

「自分にできることで誰かに喜んでもらうこと」

 

私にとって、名誉や地位や安定や収入や結婚以前に、この気持ちがちゃんと享受できることや環境こそ大事なことである。

 

そう気づいたとき、とても思考がシンプルになった。

 

昔から自分が好きだったものは手の温もりが感じられるものだったし、

昔から私が周りに喜んでもらえたことは「視覚的」な何かを作ることだったし、

そこには大抵顔のわかる明確な相手が動機として存在していた。

 

他にも、

自分は好きな服を着ている時が一番テンションが上がるし、

自分のセンスを信じて生きていきたいし、

それこそ自分自身はこんなときにもポジティブでハッピーな映画や本や漫画や音楽、言葉やイメージに心底救われていた。

 

ここに何歳だからこうしなきゃいけない、とか

女性だからこうしなきゃいけない、とか

世の中の幸せはこうだからと比較していくことも含め、

ああ、私は私を勝手に抑制していたのだなと気づいた。

 

だからこそ自己開示にあまり抵抗がなくなったのもこの時期からで、

それからは自分が今まで言いたかったことや言えなかったことや様々な感情が

溢れ出しているのだと思う。

 

正直どんな状況も、新しい自分に出会っているような気持ちで面白いのだ。

 

勇気を出して感情を伝えれば相手も時には本音で返してくれる。

ちゃんとはっきり意見を言った方が仲良くなった人もいる。

変な男性と付き合うことも多々あったが、周り巡って恋バナでは外さないネタが増えた。

大学時代からの長い付き合いである遊さんからは

「いつからそんな仕上がりになった?」と言われるときもあった。

 

「こんなキャラだったなんて思わなかった」

そう言われるたびに自分自身ですら驚いている。 

 

きっと、今私は小学生の頃みたいな好奇心旺盛で楽観度100%な人格を取り戻しているのかもしれない。

 

明確なのは、「喋る」という行為は自分にとって大切な部分である。

 

これを言っても言わなくても、職業柄珍しがられることも増えてきた。

でもそれでいい気もする。

 

 

デザイナーやクリエイターだからこうである、みたいなものもこの世界と同じく、全て絶対などないのだから。

 

 

 

と長々と書いてしまいましたが、そうです、私が「4人によって何かが作られていく過程」の4人目のkyonです。笑(院の頃に染み付いた硬い文章感が消えません)

 

全くスクール関係ないのですが、よろしくお願いします!